世間はゴールデンウィーク真っ只中。楽しく過ごす人々を目にする機会も多い。
台湾でのお仕事から帰国したての当サイト主宰・原悟克さんが
SYNODOS JOURNAL セクシュアルマイノリティと自殺リスク 日高庸晴×荻上チキ の記事を引用して、「(セクシャルマイノリティの苦悩は)自殺対策においては経済苦に次いで取り組みの優先順位の高い問題」と言及していた。
入社して2か月の女性社員の自殺につき労基署が労災認定したことに対して、さる大手居酒屋チェーンの経営者のツイッターアカウントが炎上したことは記憶に新しい。その経営者によれば「労務管理できていなかったとの認識は、ありません」とのことなのであるが、死ぬまで努力を強いる企業文化が背景にあるのではないかという論調の指摘が重ねられている。
死ぬまで、とはいかないまでも、限界を超える努力を強いて、会社のためになる能力を引き出すという体育会系体質の企業は、飲食業に限らない。ある大手証券会社に出向した方は、さして英語が得意というわけでもないのに、5日間で5カ国を回らされ、しかも連日別の人物にインタビューをさせられた上で、その日のうちにそれぞれレポートを完成させて送らされたという。出向してきた新人同然の、しかも英語が得意でもない若者に、いきなりインタビュー行脚をして何らかの成果が上がるなどと期待していたとは思えない。もちろん、それによる労働者の成長と開花を期待してのことだとは思うけれども、努力のための努力を強いられ、目的も意義も感じられない苦役に服さざるをえない状況は、カミュのいう「シーシュポスの神話」を彷彿とさせる。
労働者の勤勉さという文化は、企業にとって重要な資源というべきであるが、結局、生存条件の一つにとどまるものであって、労働者の勤勉と努力だけで生き残れるほど現実は甘くはない。
それにもかかわらず、「低価格化の価格競争に勝つため、さらに物的コストを必要としない従業員の『お客様サービス』を上乗せして対抗しようとする。その結果、低価格・低賃金なのに過剰サービスという単純な行動ファイナンスでは解析不能な現象が起きているのだ。何故、解析が不能なのかというと『従業員のモラルハザード』という低賃金長期労働に対して諸外国では不可避に起こるべき事態が、我が国では全く起きていないからである。」という現象を指摘した「ブラック企業と日本軍」(ゴムホース大學)という記事が話題になっている。
碩学池田信夫教授は、速水融氏の「勤勉革命(industrious revolution)」という概念を使って、閉鎖的な農村で怠け者が村八分にされる制裁の仕組みを伴うような、労働の固定性がモラルハザードを防止して勤勉革命を担保した結果、日本人の感情に労働奉仕を求める偏狭な利他主義が深く埋め込まれていると指摘する(「モラルハザードと勤勉革命」)。
「勤勉革命」というのは、江戸時代の農村、例えば濃尾平野の農村などにおいて、「人口に対して家畜の数が増えてゆく」ヨーロッパ型の農業発展と異なり、「日本は家畜を増やさず、だんだん農業に家畜を使わなくなってい」き、「家畜がいなくなってその仕事を人間がやる、畜力から人力へというエネルギーの代替が起こ」ったにもかかわらず、「衣食住すべての面について生活水準が上がっている」という、「資本が減り投下労働量は増えるという方向で生産量が増大する」という現象をさして使った言葉である(速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書94ないし97頁)。
このような歴史的条件の下で、「勤勉、倹約、謙譲、孝行などは、近代日本社会における広汎な人々のもっとも日常的な生活規範」となり得たのである(安丸良夫「日本の近代化と民衆思想」平凡社ライブラリー・12頁)。そして、「事実問題として、右にのべたような一連の通俗道徳は、近代日本社会のさまざまな困難や矛盾(たとえば貧困のような)を処理するもっとも重要なメカニズム」として機能することとなり、たとえば、「私が貧乏だとすれば、右の通俗道徳は私が勤勉等々でないからだと教え、私の家庭が不和であれば、私が不孝等々だからだと教える。その結果、さまざまな困難や矛盾は、私の生活態度=実践倫理に根拠をもっているかのような幻想がうまれ、この幻想の中で処理されてゆく」こととなったのである(安丸前掲13頁)。「こうして民衆的諸思想に共通する強烈な精神主義は、強烈な自己鍛錬にむけて人々を動機づけたが、そのためにかえってすべての困難が、自己変革-自己鍛錬によって解決しうるかのような幻想をうみだした。」(同80頁)。
このような思考の体系を「上部構造」と呼ぶのはあまりに唯物論的でためらわれるが、「現実世界では,戦略のマッチングをより低い計算・取引費用で実現するために,互いに補完性を持った戦略を「ルール」として強制するメカニズムが発展してこよう。そうしたルールは,暗黙のうちに守られる慣習や道徳的規制という形態を取ることもあれば,あるいは法律的な強制力を持った明示的な制度という形態を取ることもあろう」(青木昌彦「比較制度分析序説 経済システムの進化と多元性」講談社学術文庫39ないし40頁)という比較制度分析のタームになぞらえば現代的にも受け入れやすい。このような思考の体系は、近代化以後の日本社会にも生き続け、戦前においてはインパール作戦や各地の玉砕といった理不尽な不合理性の悲劇を量産する一方、戦後においては、解体される農村社会に代わる疑似共同体として構成された「カイシャ」社会に良く適合して生き残ってきたのであろう。
そのような道徳的思考の体系は、戦後日本がキャッチアップの段階にあり、垂直統合的な産業構造の成功下、成長の果実をもって労働者の犠牲を補えていたうちは、決して現実的基礎との間に齟齬を来すことはなかった。しかし、世界的な生産要素の平均化と世界的にも類をみない少子高齢化に直面する今日、もはや成長の果実をもって労働者の犠牲を覆い隠し得なくなるや、このような労働倫理は過酷な現実の前に旧日本軍さながらの理不尽さを強いる装置となる。
また、それまでの混乱と悲惨を必要最小限にとどめるために、(法律家への所得移転という副作用を伴うが)制裁的な時間外・深夜割増賃金の徹底や付加金の強化といった対症療法的な措置もやむを得まい。
高度に分業化した現代社会において、職業とは、社会参加と人格形成の上で重要な門戸である。まして、果実の分配と社会的な存在の承認が中間団体たる「カイシャ」を通じて行われる傾向の強かったこれまでの日本社会で、「カイシャ」に務めることは、少なくとも成人男子にとって社会的生存の条件であった。そのような社会的環境の中で、個々人が成功体験に裏付けられながら、「ある歴史的発展段階における広汎な民衆の自己形成・自己解放の努力がこめられる歴史的・具体的な形態」(安丸前掲18頁)として、勤労それ自体に価値を置く倫理体系が強固に再生産されてきたのであるとすれば、それが経済環境の激変に適応できず、現実との間に無惨な矛盾をさらそうとも、その呪縛から逃れるのは生半可な勇気と智恵でできることではない。
本来の市場のメカニズムからいえば、割に合わない悪条件を提示する企業は、再就職のハードルが低いために従業員が辞めてしまうなり、モラルハザードを起こして提供するサービスの質なり量なりが落ちて、最終的には人手不足や品質の低下で淘汰されるか、それでも従業員がとどまろうと思える賃金水準まで条件を改善して労働力を確保することを余儀なくされることが合理的に予想される。しかし、所与の前提として、その市場に参加する労働者自身が勤労自体を過度に美徳化し、いかに過重勤務をこなそうとも条件を改善できない環境においても、モラルハザードを起こして提供するサービスの質を低下させることを「道徳的な恥辱」「自分への敗北」と感じて、解析不可能なまでに誠実に職務に邁進するならば、前記のメカニズムは歪められて、その調整機能は弱まり、そうでない市場に比べてより労働者に不利な条件で均衡を示すだろう。
このような日本社会の現状は、硬直的な雇用規制や終身雇用といった制度と、労働者の労働倫理といった内面の規制などが相互補完的に強化し合っている均衡点なので、雇用の流動化によってこれを解決しようとしても、相互補完的な諸制度がこれに抵抗を示すだろう。
もちろん、世界的な競争と産業構造転換の圧力の下、このような均衡はいずれ変化を強いられるに違いない。できるならば、日本人のサービス精神や誠実さという美徳が、競争に有利に働く限度で残りながらも、あえて人間らしい生活を犠牲にするほどそれに依存することなく、バランスを保ちながら自由な生き方を模索できる新しい精神に進化できることが望ましいとは思うが、これは人間の作為でどうにかできるものでもない。相互に補完的な制度のマッチングである複数の均衡間の移動は、おそらくある程度急速に起こり、日本人の精神の変容は、社会に相当程度の混乱と内面の荒廃を伴うことは避けられないだろう。
また、それまでの混乱と悲惨を必要最小限にとどめるために、(法律家への所得移転という副作用を伴うが)制裁的な時間外・深夜割増賃金の徹底や付加金の強化といった対症療法的な措置もやむを得まい。
この国における選挙制度(議員定数配分)の不均衡をめぐる一人一票(一票の格差)問題とその概要、本質については、この場でも先に拙稿を含めてふれさせて頂いているが、今回は、専門的な話はさておいて、そこから派生した、ともすると、日常生活でつながりが薄いように感じることからのアプローチで、「気づき」と「本質」があるのではないかと考えて今回の寄稿に至っている。続きを読む
拙稿「他人事ではないという弁えから」に頂いたコメントへのレスポンスの通り、関連テーマにふれる本旨は、あくまで「苦しい経験や葛藤を踏まえて、ではどうするのか。どう乗り越えていくのか」という点にある。
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正義の女神(Lady Justice)をご存知でしょうか?
古くから司法や裁判の公正さを表現する司法のシンボルとして裁判所や司法機関に飾る彫刻や絵画などのモチーフとされてきたのが正義の女神です。続きを読む
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